久米寺を創建したのは聖徳太子の弟の来目皇子(くめおうじ)だと言われています。皇子が7才の時に目の病気を患ったため、聖徳太子が久米寺の薬師如来像にお祈りをさせたそうです。
皇子が3日3晩の願掛けを7回、あわせて21日間行ったところ、 ニ十五菩薩に守られながら降りてきた薬師如来が見えて病気が治ったと伝えられ、これをキッカケに、年に1度、 練供養が行われることになったそうな。
「お練」は、西方極楽より阿弥陀仏が二十五菩薩を従えてやってくるという、平安中期の浄土信仰に起源を持つもので、本堂から道場とよばれていた宿所までの現世と浄土を結ぶ来迎橋が架けられゆっくりと渡ります。
(H15.5. 3撮影)
【久米寺 練供養 「僧侶旅立」】
久米寺 練供養 「ひらひら」
【久米寺 練供養 「ひらひら」】
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