古代の三宅町は豊かな水田が営まれてきた大和朝廷の直轄地”屯倉”。都を食糧の面から支える穀倉地帯であったとされています。三宅町石見(いわみ)で行われる「祭祀講(さいしこう)」は、八代将軍徳川吉宗の時代の享保7年(1722年)に始まったと伝えられています。石見地区は郷倉(ごうくら)を中心にして、角辻々の方角となる艮(うしとら)、巽(たつみ)、坤(ひつじさる)、乾(いぬい)の4カ垣内から成り立っています。祭祀講員は18歳以上の男子120人余りで組織されています。暗闇に包まれているころ、2年前の振上げ神事で決められた当屋は、日の出を向える2時間余り前、玄関に幕を張り提灯を吊って祭りを迎えます。(H18.10. 1撮影)
三宅町 石見祭祀講 「暁の幕張り」
【三宅町 石見祭祀講 「暁の幕張り」】
三宅町 石見祭祀講 「祭祀講当屋迎え」
【三宅町 石見祭祀講 「祭祀講当屋迎え」】
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