「花もかすむか冠山城跡 うかれゆき交う人模様 風がもてくるお祭りばやし あれは白狐の あれは白狐のお渡りか」と『郡山小唄』に唄われている大和郡山の白狐のお渡り。大納言豊臣秀長が入部当時、城地へ勧請したとの由来をもつ源九郎稲荷神社。所在地の洞泉寺郭の楼主たちが中心となって、昭和十二年以降に白狐の面をつけて行進したのがお渡りの始まり。昭和24年から37年まで発刊された再録週刊「サンデー郡山」記事によれば、昭和27年、十年ぶりの源九郎白狐渡御は好天に恵まれて、沿道はひしめき万余の観衆で溢れた。「今日はめでたや源九郎祭り。朝もとうからコンコンチキチキナ・・・」と、町内外より待たれた源九郎稲荷の春祭に浮かれた様子が載っている。総勢500人の渡御一行を一目見ようと十重二十重に押し合う観衆だったというから相当な人出であったろう。渡御はふれ太鼓を先頭に大名行列さながら遠見、金棒、立箱、大傘、総列奉行駕、甲冑騎馬、最後列に橘会の白狐囃子だった(H21. 3.29撮影)
お城まつりの白狐渡御 「昔も今も白狐」
お城まつりの白狐渡御 「昔も今も白狐」
お城まつりの白狐渡御 「伝統の白狐渡御」
お城まつりの白狐渡御 「伝統の白狐渡御
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