昭和36年の記事では、ふれ太鼓を先頭に岩手社中の狐の嫁入り、大天狗を先導に子供白狐が引く御輿、獅子舞、右大臣、左大臣、稚児、榊などが続き、騎馬、人力車、そして最後尾には橘会の白狐囃子は200メートルにも及び総勢400人の一行であった。戦後華やかに復興した白狐まつりも十数年前から途絶えていたが、若手によって復興して現在に至っていると記事に結ばれている。その後の昭和53年、青年会議所、奉賛会などが復活させて、昭和58年にお城まつりの行事のひとつとして行われるようになった。白衣に狐の面を被った子どもたちが商店街など市内目抜き通りを踊って練り歩く姿は城下町郡山にふさわしい伝統行事になっている。(H21. 3.29撮影) |